<DreamSongs18>夢の諸相から浮かび上がる詩歌とエレジー
ポエムギャラリー:Dream A La Carte
*この「DreamGallery~Dream A La Carte」では、夢体験をもとにした創作詩を掲載しています。
過去に体験した夢の内容をベースにして、詩(但し、普通の詩歌とは全く違うものとお考え下さい)らしき散文の形に落としこんでいます。制作手法としては、まずイメージを忘れないうちにメモとして書き留め、次に心象風景のようなものとして自動筆記。そして、気持ちの中で整理した上で、出来るだけわかり易い表現に組み替え直してから起こした詩歌です。
~夢から受け取った事象、イメージを散文として、また、メッセージのような言葉、台詞として記憶された内容をもとに、連想したこと、思いついた表現として書き記しています。
さらに内容から想起されたイメージをコラージュ作品として制作をし、併せて掲載しています。
Galley WORKS :Sketch of Dreammessages
ジャンル分類からの作品リスト
日常生活の風景:反語と諧謔~皮肉まじりのメッセージ
◎スケッチ詩歌/その1
◎スケッチ詩歌/その2
◎スケッチ詩歌/その5
異国の地にて:“内省感傷”的自己体験
◎スケッチ詩歌/その4
◎スケッチ詩歌/その7
◎スケッチ詩歌/その8
不思議な体験:様々な巡りあわせ
◎スケッチ詩歌/その3
◎スケッチ詩歌/その6
◎スケッチ詩歌/その9
夢解説とエッセイ
<夢の世界:イメージから言葉までに連なる志向性>
フロイト~「ユメは夢見る人(主体)の自己表現である」
~夢の原初的経験を制作物(ことば,イメージ)に仕上げていく過程を理解する為に、私のケース=Dreamsongs18についてここでは以下の事柄をもとにして考えてみたいと思います。
≪ユメの特性≫
1.ユメは人間すべてが向き合わざるを得ない、強制された世界である。毎夜必ず発生し、記憶に残る事が少ないにも拘らず、頻繁に出現し、そして霧散・費消していく。後日まで、記憶に残ってしまうユメは少ない。
2.{何かを意味するもの}として『主体』の眼前に現れるものではなく、唯その“中身”らしきモノが存在することを示す。
3.複数の鏡を向い合せた世界に入り込むのと同じで、無限の反復的連続イメージの組成に結び付く。それ故、抜け出すことは≪覚醒≫以外に手段がない。しかし、≪覚醒≫しなければ、そのユメに客観的に向き合えない。
4.おそらくユメは「夢見る主体」の心理・精神状況と分かちがたく結びついているのだろうが、それらは解釈・理解を超えた範囲で蠢いている。
5.精神的葛藤や身体状況の支配下にある部分が微妙に、ユメの“中身”に影響することもあるが、決してそれらが“中身”への理解・認識を促すものでも、分析を許すものでもない。
言い換えると、生きている人間が生きていくことに、ユメが常に付きまとい、人生時間において繰り返し『“生れ、死ぬ”睡眠』という限られた時間帯で生息しています。
ユメが我々人間にまとわりつき、常に日々の生活に現れるのが事実としたら、これらに寄り添うこと、つきあう態度も人生経験の中で楽しいのではないか、そんな感想を抱くのでした。
~こうして見た場合、私の場合:Dreamsongs18においての「夢の記録化」と「詩歌・イメージ作品」はまず記録しながら、少しずつユメの中で起こった事柄に秩序を与え、記憶に留めるために造形上での工夫を加えていく作業になると言えるでしょう。それは、創作行為であると同時に記録作業であると思えるのです。
以下の図解をイメージしていただくと、こうした試みを繰り返すことの一端が若干なりとも共感頂けるかも知れません。
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